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東京スイーツ倶楽部 50回記念例会

和泉光一シェフを囲んで

いつもは、スイーツを作りながら話しているので、白衣を着て話すだけ
というのは緊張しますと言いながら、主宰中村との対談が始まった。


■経歴
1970年愛媛県出身。
実家は祖父の代から和菓子職人で、現在は両親が卸専門で営業してる。
両親は他のお店のお菓子を食べることを嫌がり、また食べると怒られてい
たので、
洋菓子は隠れて食べていた。
家庭環境から、料理の世界に進みたいという気持ちは元々あったが、それ
まで
結構やんちゃしていたので、両親を安心させるためにも菓子専門学校に進
んだ。

■日本菓子専門学校(二子玉川)
専門学校の1年次は怠けていた。また和菓子の裏側は知っていたゆえ、
洋菓子に憧れを抱いていたのかもしれない。
そんなことから、洋菓子の道へ進むことになる。

■成城アルプス(成城学園前)
厳しいことで評判のお店で修行したほうが良いという校長の考えで、半ば
強引に
入れられた。
6年で一通り学べるということだったが、結局7年間在籍した。
このお店は、午前2時半からスタートの厳しいお店だったが、焼き物の全
ての
基礎はこのお店で学ぶことができた。

■花とお菓子の工房・フランシーズ(堺)
スーシェフとして、ヘッドハントされる。
実はフランス行きがあったが、成城アルプス時代にお世話になったチーフ
のお誘い

受けることとなった。
そのお店は200円~300円の庶民的な価格のスイーツだったこともあ
り、
600人/日の来客があった。

■サロン・ド・テ・スリジェ(調布)
http://www.cerisier-jp.com/
すでに創業30年の老舗のお店で、成城アルプスの社長経由で紹介しても
らった。
このお店は地下にレストランがある。

■コンクール
挑戦する理由は、フランス留学がないというコンプレックスが原因で、自分が世界でどれだけ通用するのか確かめたいという思いから、世界大会に通じる日本予選大会に出場。
サロンド・テ・スリジェの前は一切コンクール出場はなし。

・2000年 第8回内海杯コンクール
グランプリ(クープ・ド・フランス日本代
表予選金賞)

・2005年 第1回ワールドチョコレートマスターズ(仏・パリ)
17ヵ国出場の大会で、日本代表として総合3位(ちなみに、1位ベル
ギー、2
位イタリア)
アシェットデセール部門(和泉)優勝
※なお、チョコレートの大会では全ての大会で使用するグラムが決められているとか。

・2006年
ワールド・ペストリーチーム・チャンピオンシップ(米・ラスベガス)
総合準優勝、チョコレートピエス部門(和泉)優勝
メンバーは和泉シェフ(キャプテン)・林シェフ・武藤シェフ。
日本チームのデザインは和泉が全て決めた。テーマは善と悪。
和泉シェフは2m10cmのチョコレートピエスを担当。

このWPTCという大会は2年に一度開催される9品目もある大きな大会
で、世界一を決める大会と言われている。ちなみにクープドモンドは3品目。
というのもフランスのMOF(日本でいう人間国宝)は
フランスの大会(クープドモンド等)には出場できないルールになっているからである。
MOFは審査員側になる。今回の出場チームのうち、仏・米・ベルギーにもMOF授賞者がいた。

この模様はNHKでも放映されたが、アメリカでは見せることが重要。
赤い飴細工のデキシタシオンが壊れてしまうアクシデントもあったが、担当の林シェフは真っ青。そこで、みんなで掃除に入ったが、使える部分
があることがわかり、残り5分となれば普通はみな諦めるが、諦めずに1m20cmまで積み上げて、終了。
諦めずに高く積み上げたので、結果得点が入った。
結果はフランスが優勝。
日本は惜しくも準優勝!
フランスのMOFチームは3つの机のうち、2つしか使わず、残り1つは審査員に見せる為だけの机にするといったテクニックも駆使していた。
そのため、審査員に見せたら、すぐに奥の机に引っ込めて作品を徹底的にガードしていた。

■実食
・イビザ

・ソレイユ

・スフェール

・ジュピーター

・ケイクルージュ

■今後の予定
2008年7月に行われる第4回WPTC(アメリカ)の準備中。
来月渡米して、アメリカ予選を見に行く予定。今回のテーマは陰と陽。
アメリカではフォーシーズンのパティシエが選ばれるはずだが、MOFが2名入ってくる。
アメリカは前回3位だったので、今回は必勝を期している。
フランスはMOFなりたての勢いのあるパティシエが入ってくるとか。

■費用
この前のクープドモンドでは、弾丸応援ツアーと称して、1人自腹でで2泊4日で日本チームの応援に行った。
現地では日本チームのために、自分の技を惜しみなく教えたが、最後の発表まで会場にいることができなかった。しかし、空港で君が代が聞こえたときは嬉しかった。

コンクール費用は年間200万円。今回のアメリカでも160万円の持ち出し。
ホテルのパティシエは、ある程度経費として負担してくれるそうだが、小さなお店は難しい。
川村さんとは今回は自腹だなと話しているとか。

今の問題は金銭的なこともあるが、それより練習時間の確保。
練習を積むと、必要なものを目を合わせなくても、手を伸ばせばメンバーが渡してくれる。
幸いなことに川村シェフの吉祥寺と自分の調布とは近いので助かる。
夏前からデザインを考えて、大会自体は初日5時間と翌日7時間の計2日間の大会。
練習は12回行い、コンテスト準備中は3時間睡眠。大会前より、6キロ痩せた。

大会後は、みな体格・味覚が変化するそうである。和泉シェフの場合は、毎日3時20分に
起きてしまったとか。他のシェフには、半年間味覚をなくしたシェフもいた。

■夢
短期的には、前回2位だったWPTCで優勝すること。
長期的な夢は、自分のお店を持つこと。
交流のある川村シェフは2007年2月に独立。

■勝つために気を付けていること
衛生的であること、それが駄目だと勝てない。また妥協しない。四季を感じさせる。

■新作のアイデアは
他人のものを真似ることはないが、映像(映画)とかのビジュアルに影響を受けることがある。

■ネーミング
昔は長くて、カッコ良いネーミングが多かったが、今はインパクトを重視している。
立地が郊外なので、長いネーミングだと年輩のお客さまが固まるとか・・
・。

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2007年06月07日 07:11に投稿されたエントリーのページです。

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